江戸小紋のお話
◆小紋佳話
遠くは色合い、近くは繊細優美、和を愛で装う日本の心「侘」「寂」に「粋」を併せた江戸小紋。
少し昔を振り返り江戸から現代へと継承されてきた小紋染の武家と町人との文様の感覚、流行、謂われを新たな視点でとらえ、今、新しい息吹を感じさせる江戸小紋の姿を御案内させて頂きます。
江戸小紋の紹介で必ず登場する「裃」武士の式服。江戸時代継続的に発令された奢侈禁止令(徳川禁令)は、武士、町人に対し布地の種類から染め色までを指定した。
とりわけ、町人に対して着物地は紬・木綿・麻、染め色も派手な色合いは禁止され茶色、鼠色はお構いなしの色に限られる厳しい統制がとられました。
この「お構いなしの色」を染め職人は互いの技術を競い「四十八茶百鼠」の言葉のような茶色、鼠色を染め分けられると言った規制された中での技術を発展させました。
禁令が発布されながらも元禄華やかな江戸へ、他方から染職人、型紙職人なども多く上京し、この禁令こそがある意味、職人の気質に触れ染の技術と微細な型紙の技術の発展になったのではと思います。小紋は時代の流れと共に対象も武家から町人、そして女性へと移り変わっていきます。
ここで江戸の粋なお話を、先の奢侈禁止令の中江戸っ子は粋な反発をしていました。着物地、染め色の規制された中、着衣の裏地に趣向を凝らして粋を競い合い、禁止されている正絹、染め色も派手な色合いなどで隠れたところに贅を尽くす「そこ至り」や山東京伝の書いた小紋雅話に出てくる世相を揶揄するような「ごぼうの切り口」「鰻の蒲焼き」「かたつむり」などの紋様などがあったり「粋」と「繁栄」があり今の時代に大きな文化的な基盤を遺してくれた時代ではないかと感じます。
※そこ至り:外観は普通だが表に出ないところに趣向をこらし精巧、華美な装飾をすること。
※山東京伝:江戸の浮世絵師であり戯作者(小説家)、創作デザイナーであり多くの作品を遺しています。
そして時代は現在へ、江戸小紋の呼び名は昭和(昭和三0年)に入ってからの名称で京小紋、加賀小紋などと区別するために江戸を付け東京の染め物の名称として「江戸小紋」が正式名称となりました。
◆江戸小紋博物館
小さな博物館・工房ショップ併設
開館時間:月曜~金曜 午前11時~午後5時
墨田区では、中小企業の集積地としての特徴を活かし、その振興育成を図るため、昭和60年(1985年)より各企業が併設する製品などの展示スペー スを小さな博物館(Museum)として組織化、高度な製造技術を持つ者はマイスター(Meister)として認定、さらには製造から販売までを一貫して 行うユニークな製造業者を工房ショップ(Manufacturing Shop)としてリストアップし、これらの頭文字を取り「3M運動」を展開しています。これらの一部は観光客にも開放し、物づくり体験の楽しさや歴史を 知っていただいております。体験、見学の日時は各工房によって異なりますので、ご確認の上、是非ご利用下さい。